「……その話は本当なのか?」


「ああ、約束するよ。どちらにせよ、あんたらには脅威にしかならん存在だからな」


闇に閉ざされた室内。割れた窓から、微かな月光の光が差し込む中、男の話し声が響き渡った。

遥か遠方で、廃墟を潜る風の音さえもが薄らと聞こえる静寂。その場所での話し声ははっきりと互いの耳に届く。

吹き抜ける風によって、暗雲が静かに流れて行き、青白い月が顔を出した。その月光によって、室内に座り込んでいた人物の顔が露になる。


黒い顎髭を伸ばした、熊のように大柄な男。深い掘りの顔は褐色に焼けており、相手の言葉を耳にした途端、眉根に皺を寄せた。


「そいつを匿えば、我らにも危害を加えると?」


「まぁ、その辺りは俺にも詳しくは分からんな。人の事を言えたモンじゃないが、上の考えることはいつもキチガイ染みたことばかりだ」


巨躯を持つ男に対して、正面に座り込んだ細身の男は赤眼を細めて笑い、顔を窓の外に向けた。

その微かな動作で、彼が手に持つ煙草の煙が、洋々と窓の外へと流れていく。煙の行く先を見詰めながら、細身の男は続けた。


「相手は不安定な獣人だそうだ。暴走もしかねない。放っておけば多分、あんたらにも牙を剥くだろう。まぁ逆に匿ったら、さっき言ったとおりだよ」


「ふん。つまり、俺らはお前の言うことを実行しない限り、現状を変えられないということか。とことん嫌な奴らだな貴様らは」


巨躯の男が立ち上がる。その身体は鍛錬された肉体そのもので、岩さえも砕けそうな程の筋肉量であった。


「……約束は守ってもらうぞ」


まるで小山のような体型を持ったその男は、一言そう吐き捨てると、重量感のある足音を立てながらゆっくりと廃屋を出て行った。

その様子を背後で見送っていた細身の男――チャドは、藍色のニット帽を被り直しつつ、コンクリート壁に煙草を押し付ける。


「くっく、御堅いねぇ……」


チャドは再び雲に隠れた月明かりを見詰めながら、嘲笑を浮かべた。








ガークが部屋を去った後、遙は彼に差し出された朝食を摂っていた。

その早食いした理由は、ガークが待っているから、というよりも、驚異的な空腹から来たものであった。

……不思議な事に、先程まで全くと言っていい程空腹を感じなかったのだが、温かいスープの匂いを鼻腔に感じた途端、耐え難い空腹感が湧き上がってきた。

まるで何日も何も口にしていない感覚があったが、それを訝しがる余裕は無く、無我夢中になって香ばしい匂いのするパンに齧り付く。

慌てたせいか、押し込んだ食事が何度か食道に詰りそうになり、遙は苦しさに胸を叩きつつ喉にコーヒーを流し込んだ。

しかし、こう滋味に富んだ食事は久々であり、空腹を癒すだけではなく、心まで満たされた気がした。


「……っはぁ、ガークの言ってたこと、やっぱり本当だったのかな?」


コーヒーを飲み干した遙は彼の言葉をぼんやりと思い出していた。

GPCにいた頃は経口で食事を与えてくれなかった……つまり、栄養剤のようなものを注射や点滴で摂取していたということだろうか?


遙は目を細めて、自分の腹部を擦る。


「それならお腹が空く筈だよ……」


遙は苦笑すると、食べ終えた朝食の食器を持って立ち上がった。

ガークと共に外へ行けば、何か此処から出る手がかりが見付かるかもしれない。人間に戻る方法だって、きっと探せばある筈だ。

ずっと部屋に閉じ篭って考えるよりも、少しでも出来ることを探そうと、遙は部屋を出た。


足を踏み出した廊下は風通しが良く、左手に空いた窓からは少し冷たい風が吹き込んできていた。

遙がいた場所以外にも、部屋は幾つか設けられているらしく、左右対称に設置されたドアが見受けられる。

内装は木材を中心に使用して建造されており、ホテルのような雰囲気でありながらも、何処かさっぱりした印象を受けた。


その廊下の一番奥に行くと、階段に差し掛かり、遙は一階に向けて降り始めた。


(きっと帰られる……人間に戻る手がかりだって、掴める筈……)


遙は食器の乗ったトレイを慎重に支えながら、階段を一歩一歩降りていく。

やがて一階に出ると、まっすぐに続く廊下の先に玄関が見えた。玄関戸は開けっ放しになっており、そこからは明るい日差しが差し込んできていた。

玄関の位置は火を見るより明らかなのだが、何よりも、ガーク達はどの部屋にいるのだろうか。部屋が多いため、一階と言ってもどの場所なのか分からない。

とにかく、何処かにいるならば声が聞こえるだろう。そう思って、乾いた風が頬を撫でる中、遙はトレイを落とさないように、緊張した面持ちで歩を進めた。


ところが、一歩踏み出した所で、突如として左手のドアが開き、遙は思いっきり顔をぶつけた。

遙が額に受けた痛みに、足を屈めて小さく呻いていると、ドアを開けた諜本人であるガークが驚いたように声を出した。


「うおぅ、意外と早かったな」


「ッ痛い……」


遙は取り落としそうになったトレイを震える手で支えながら、声を漏らした。

ガークは噴出すようにして笑い、遙の頭に手を乗せる。


「はっは、んなの傷の内に入るかっての」


「ガークは乱暴なのよ」


彼の後からフェリスが顔を出し、ガークに厳しく言いつけた。

ガークが不機嫌そうに顔を歪めるのをフェリスは平然と無視し、トレイを持った遙に視線を移すと、ほっとしたような微笑を浮かべる。


「ああ、ちゃんと食べたんだ。食欲がずっと無かったみたいだから、少し心配していたのよ」


「はい……まだ、色々と考えたいことがあるけど、部屋に閉じこもっていても何も解決しないと思ったから……」


遙は俯き加減で言った。


「そっか、じゃあ、心機一転ってことで、着替えない?」


フェリスは笑いかけ、遙に丁寧に畳まれた服を差し出した。

黒のタートルネックに紺色のPコート。意外と防寒の強い服装だ。……確かに、絶対不可侵区域の気温は低く、今の患者衣のような服装では身震いする程である。

何よりも、今着ている服は外に出るのに向かないだろう。遙はフェリスから服を受け取り、微笑んだ。


「わぁ、こんな服が絶対不可侵区域にあるんですか?」


「んー、あんまり良いのは残ってないんだけどね。元々この建物の戸棚に残っていたものよ。もっと新しいものが残っていれば良かったのだけど」


「い、いえ、全然大丈夫です。有難う御座います」


遙は服を抱き締める。その頬が興奮で紅潮していた。

服を貰うなんてことは、本当に久し振りだった。母の仕事が忙しくなってからは、街まで遠出することも少なくなり、流行の服など買いに行くことは殆ど無かったのである。

それがこんな形で貰えた喜びに、遙は上機嫌に表情を緩めていた。……一方で、その様を見ていたガークはつまらなそうに鼻を鳴らす。


「何だよ、着替えるなら早くしろよ? ったく、お前ら女ってのはすぐ外見を気にするな。別に今の服でも充分じゃねーか」


「ガークは良いだろうけど、遙は可哀想よ。こんな血の跡が残った服をずっと着せとけって言う訳?」


「む、まぁそりゃそうだが……」


フェリスの言葉と遙の服装に、さしものガークは顎を擦って唸った。

遙は二人に頭を下げると、更衣のためにぱたぱたと別室へと向かって走り出す。

その姿は背後から見ても嬉々としており、足取りは兎のように軽やかであった。余程嬉しかったのだろう、ガークもフェリスも微笑を浮かべる。


やがて遙の姿が二階へ消えると、ガークは思い出したようにフェリスの顔を指差した。


「おっと、言い忘れるところだったが、フェリス、お前は留守番だ。俺らは今からちょっと外に行って来るんでな」


「遙を連れて行っても大丈夫なの? 昨日みたいにGPCの奴らが襲ってきて、ガーク一人で対処出来る?」


「大丈夫だよ。それに、仲間探しは俺の仕事だろ? お前は此処に残って、帰ってくるまでに炊事、洗濯、掃除も全部やってろ」


ガークはそう言うと、フェリスの手を大儀そうに退けた。

フェリスはその様に呆れたように腕を組み、溜息を漏らす。


「無頓着な。……まぁガークがそう言うなら止めないけどね。何か察知したら私もすぐに行くから。気を付けて行って来なさいよ」


「母親みてぇな顔すんなッ!!」


フェリスに頭を撫でられたガークは、赤面して叫んだ。






やがて、更衣を済ませた遙が二階から素早く駆け下りてきた。

サイズも合っていたらしく、妙にきっちりした着こなしになっている。もともとあまり身体が大きくないのもあるだろうが、特に動くのに不便は無さそうだ。

だが、下が丈の短いプリーツスカートにニーハイソックスという、ガークは遙の姿を見た瞬間に恥ずかしさから顔を背ける。


遙が目を瞬くと、フェリスはガークの様子を見ながら小さく噴出した。


「まぁ、ガークったら初心ねぇ」


「うるせぇッ!! ほら、とっとと行くぞ遙。こんなネコに構ってたら日が暮れる」


「え、ああ、ちょ……ガーク!」


ガークに強引に背中を押され、遙はたたらを踏みながらも玄関戸に立った。

天気は悪くなく、清々しい程空気は澄んでいる。若干砂の埃っぽさは否めないが、それでも良い気分転換になりそうだ。

ガークがさっさと外へ出て行く中、遙は靴を履きながら背後を振り返ると、そこではフェリスが手を振っていた。


「気をつけてね、遙」


「は、はい」


慌ててガークの後を追って出て行った遙の背を見ながら、フェリスは微笑んだ。


「想像以上に仲良くなりそうね、あの二人は……」







周りは全て廃墟……それと荒地が点々と見えるだけだ。


相変わらず、此処で眼が覚めた時とその空虚な雰囲気は変わっていない。遙はブーツの底で瓦礫と砂利を踏みながら、その感触に違和感を覚えた。

ガラス片に木片、コンクリート片などの小さな瓦礫を含め、それらの積み重なった山を貫くようにしてH字鉄骨が伸び上がっている。

その瓦礫の山を足元に気を付けながら登ると、その先には比較的形の残った建物が点在していた。

無論、完全に形状を保ったものは無く、どんな建物も少なくとも半壊はしている。建物に挟まれた道路も、乗用車と荒地の砂塵に呑まれて見えなくなっていた。

砂地に覆われた道路の上で、折れた標識を見付けた遙は、足で埃を払ってみる。……薄らとだが、黎峯らしい文字が浮かび上がってきた。


「此処、やっぱり黎峯なんだ……」


「ああ、此処から東へ行けば、ロムルスに一番近い海峡に出るよ」


ガークが欠伸と共に答える。

標識の文字は塗装が殆ど剥げており、その複雑な形状から黎峯の文字だとは分かるが、何と書いてあるかまでははっきり分からなかった。

それでも、何処か名残惜しさを感じた遙は、標識をぼんやりと見詰める。


「どうした、遙? 知っている地名か?」


「ううん、知らない。けど、何だか不思議な感覚なんだ。絶対不可侵区域の内部なんて、どうなってるか想像したことも無かったから……」


遙はガークの言葉を聞いて、そっと頭上を仰いだ。


何とも信じ難い光景。そもそも、近代的な建物が崩壊している様は映画などでしか見たことが無い。

現実に目の当たりにすると、その迫力というよりも、途方も無い虚無感が襲い掛かってくる。人の手で作り出したものが砕け散っている様は、滑稽とさえ感じた。

これが夢であれば、何の違和感も無いのだろう。とてもではないが、人がいるような気配は感じない。人がいたという生活感は建物と共に崩壊している。

遙は全壊して瓦礫の山となったビルに目をやりながら、吹き付ける冷たい風に肩を竦めた。


「こんな所に、仲間がいるの……?」


「ん? まぁ、な。生きていれば、会えるだろうけど」


ガークの淡々とした答えに、遙は息を呑んだ。


「そんな……!」


「これは現実のことだ。昨日みたいに、GPCの雑魚もいない訳じゃない。ばらばらになっちまった今、小さなグループは潰されてしまうだろうよ。
小さいって、俺らも全然ヒトの事言えないけどな。たった二人だし。……おっと、今は遙を含めて三人だな」


ガークはその場の空気を和ませるようにして、笑って答えたが、遙は不安になって唇を噛んだ。

常に死と隣合わせ……そんな感覚が身体に鳥肌を立たせる。昨日の獣人達のような存在が、まだ沢山いるというのだ。


するとガークは、緊張して固くなった遙の背中を、元気付けるようにぼんぼんと叩いた。


「何不安そうにしてんだ。確かに危険といえばそうかもしれねぇが、現に二人しかいなかった俺らだって元気に生きているんだぜ?
他の奴らはもっと強い奴もいたんだ。生きている奴もいる筈。また仲間が増えれば、心配事も少なくなるだろ?」


「で、でも、食料とか……そんなものは何処から来ているの?」


先ほど食べた食事を思い出して、遙はガークに聞いた。

朝食の材料には新鮮な野菜や肉類も混じっていた気がする。だが、何と言っても、その食糧の手に入る経路はどうなっているのだろうか。

こんな荒地で野菜を育てる畑や家畜を養う畜舎があるとは思えない。もとい、動物の気配さえしないのである。

それに、此処に残っていそうな非常食の類だけでは、あんな料理は出来ないだろう。遙の問いに、ガークは空を見上げた。


「メシは、持ってきてくれるんだよ」


「持って来てくれる? どういうこと?」


「俺らも詳しくは知らないけど、この土地の獣人を、ちょっとだけ支援してくれている組織があるらしい。
定期的にそこから食料やら何やらが送られてくるんだ。ついでに、電気や水道なんかのライフラインも、そこから提供してくれているらしい」


何とも不思議な言い回し……というよりも胡散臭い。

遙は胡乱な目付きでガークを見返した。ガークは鼻を鳴らす。


「何だよ、その信じられないって顔は。本当の話だぞ? お前も見たら驚くだろうが、でっかい獅子面のおっさんが飛んでくるんだ」


大仰な身振りを付けて言ったガークに、いよいよ遙も辟易した。


「……余計に怪しいよ、それは……。だって、そんな組織があるなんて、GPCが糸を引いている可能性だってあるじゃない。
騙されて、もう一度捕まったら、それこそ、大変なことじゃないの?」


「お前、意外と神経質だな。……まぁ、女ってのはそんなもんかもしれないが。
でも、少なくとも、GPCじゃない。あいつらにとって、俺らはいらない物だからな。生かしておく方がおかしいだろ」


ガークの言い方に遙は首を捻る。


「確かにそうだけど……」


遙はぼんやりと首を回した。

相変わらず何もいない。廃墟ばかりが連なる中、人っ子一人いないのだ。こんな不毛な土地を、ガーク達はずっと歩き続けているのだろうか?

想像以上に広さを持った、絶対不可侵区域。何処かから、抜ける場所は無いのだろうか? 家に戻ることが出来る場所は……


(焦っても仕方が無い……そうは思うのだけれど)


家に戻れるのは……人間に戻ることが出来るのはいつになるのだろうか。

言ってしまえば、自分が獣人だということも、まだはっきりとは信じられない。

自分は人間。心の隅では、そう思っている。何と言っても、まだ獣人化というものを発現したのは一度だけだ。

しかも、殆ど記憶というものがない。まるで夢でも見ているかのようなあの時の感覚……簡単に信じられることではなかった。


遙が複雑な気持ちになって唇を噛んだ時だった。




――周囲の空気が、張り詰めたように凍りつく。

耳鳴りのような音が響き、それに呼応するかの如く身体中に鳥肌が立った。何事かと遙は息を呑む。

周りには何もいないというのに、その不思議な音は何処からとも無く遙の脳内に直接流れ込んできていた。


隣に立つガークも、遙と同様の異変を感じ取ったようで、急に顔を空に向ける。


「! 何なの……?」


「こいつは……獣人の気配だ……」


ガークの神妙な言葉に、遙は目を瞬いた。


「じゃあ、もしかして。ガーク達の仲間?」


「いや、違う……そんな友好的な態度じゃねぇよ……これはな」


ガークは否定すると、遙を背後にやるようにして、彼女の前へと出る。

そして、まるで戦う姿勢のようにゆっくりと腕を構えた。


「遙。てめぇは俺の傍を離れるな」


「どういうこ――」


遙の言葉が切れた。

ほんの刹那、目の前に黒い獣の影が躍り出てきたのだ。

遙達から見て左側にイヌ科の獣人と、右側には中型のネコ科らしい顔立ちをした、二人の獣人だった。

イヌ科の獣人は、オオカミと比べると幾分細い口吻と輪郭を持ち、狐のように両耳の間隔は少し広めに位置している。

少々キツネに似た雰囲気を持ち合わせているが、顔の特徴からしてコヨーテかもしれない。

一方でネコ科の獣人もイヌ科獣人と背丈はさして変わらないが、その身体つきはしなやかに引き締まっていた。

赤褐色の被毛に覆われた顔立ちは、ヤマネコよりもヒョウ属に近い造形である。顔の筋肉を伝うようにして伸びる黒い筋が、一層獰猛さを引き立てていた。

大型のヤマネコ、といった容姿の獣人。その野生的な風貌はピューマの遺伝子を受け継いでいるのだろうか?



そして、もう一人……その二人の間に割り込むようにして入ってきたのは、まるで小山のような大きさを誇るウシの獣人だった。

初めてみた牛獣人よりも更に大きい。筋骨隆々とした肉体と、黒い体毛に覆われた頭部には鮮やかな曲線を描く巨大な角が生えていた。

足は蹄行性の偶蹄目特有の形をしている。関節を曲げたその足は、以前見た獣人達と違って、動物の特徴をそのまま現していた。


言うならば、ヌーの容姿。巨躯の牛獣人は顎から伸びる長い獣毛を摘みつつ、ガーク達を見下ろした。

遙はその大きさに圧巻されて声すら上がらない。一方で、その巨大な容姿を見上げたガークは眉を上げる。


「お前は……アルダイトか?」


ガークの言葉に、牛獣人は鼻息を荒らげて目を細める。


「その通りだ。そう言うお前はガークだな。お前もあの女とは別れたのか? 一人だというのなら、我々の仲間にしてやっても良いぞ?」


顔から容易に想像出来る、低音の声でアルダイトやらは言った。

だが、ガークは彼の問いを嘲笑で返す。


「はは、あいつとはまだ一緒だよ。生憎、あんたと違って、簡単に仲間を見捨てられる程、薄情じゃなくてな。
……それに、どうしてそんな殺気を放つ野郎の仲間にならなきゃいけないんだよ」


ガークの台詞に、遙は目を見開いた。

さっきから身体を刺すような感覚は、殺気? だが、ガークの先ほどの台詞を聞く限り、相手は見知った者のようだ。

上手く話が分からない。遙は小声でガークに呟いた。


「あの人たちは……」


遙がそう聞くと、ガークはそれを静止するように、腕を伸ばす。

遙のその小さな行動が、相手の三人の視線を一気に絡め獲った。


「その娘は?」


「こいつは俺らとは関係無い。たまたまその辺で拾っただけだ。GPCの手駒でもない、唯の脱走者だ」


「そうか、そうか」


ガークの言葉を聞いたアルダイトは、毛深い胸を添って臼歯を嫌らしく剥き出した。


「くっくく、良い事を教えてやるぞ、ガーク。俺等はこの荒地から脱走する手立てを見付けたのだ」


彼の聞き取り辛い言葉に反応したのは、ガークよりも遙が先だった。


「此処から出る方法!?」


「遙!」


前に出ようとした遙をガークは叱声と共に引き止める。それを見たアルダイトは、蹄を持ち上げて一歩足を踏み出した。

ズンッ、と地響きのような音が響き、アルダイトが恫喝するように鼻を鳴らす。


「そうだ。俺等に付けば、ガークよ、お前も此処から出られるのだぞ? こんな廃墟に引き篭もって死ぬのはごめんだろう」


「うるせぇよ、だったらその条件を言ってみろ。信じられる奴だってんなら、少しは考えてやるよ」


「そう来なくてはな――」


言下、アルダイトの周りにいた二人の獣人が、ガークに飛び掛った。

肉食獣の遺伝子を持った彼等は、その肢体を活かして素早く襲い掛かってくる。不利な状況に、ガークは舌打ちした。

すでに獣人化している二人の力を跳ね返すことが出来ず、結果的にガークは遙を抱えて横に逃げる。


だが、二人の攻撃を避けた彼の目の前に迫っていたのは、アルダイトの巨大な脚であった。


「うお!!」


アルダイトが素早く繰り出した蹴りを、ガークは間一髪で避ける。直撃していれば、それこそ一撃で骨が砕かれていただろう。

その一連の流れに、遙は何が起きたのか良く分からず、ひたすらガークにしがみ付くことしか出来なかった。


「ガーク……!」


遙は慌てて顔を上げた。ガークは返事はせずに、遙の背に回す手の力を強めてアルダイトを見上げる。

彼の足元には無数の瓦礫が積み上げられていた。しかし、彼の蹄が圧し掛かった瓦礫は鉄骨さえもが見事にへし曲げられている。まさに脅威的な体重だ。

あの体重で踏み付けられれば、確実に即死するだろう。遙は再び迫ってきた恐怖に、身体を震わせた。


ガークは避けた際に打った後頭部を擦りながら、アルダイトを睨んだ。


「こういうことかよ、てめぇら……GPC側に寝返ったってのか? 俺等を殺して、奴らの土産にでもすると?」


「くくく、少し間違いがあるぞガーク。GPC側に付いたのは正解だが、目的はお前を殺すことじゃない」


アルダイトの言葉にガークは眉を上げる。


「なんだと?」


「はは、もっと簡単なことだ。ガーク。その小娘を、我らに渡せ」


アルダイトは毛深い掌を、ガークの前に出した。

幅一メートル近くはありそうな巨手を見た遙は、驚いて身を捩る。だが、ガークは遙を離さなかった。


「こいつを、お前らに渡せってのか? どういうことだ、此処にいる奴らは、GPCにとってゴミみたいなものだろ?
このガキ一匹に、何があるってんだ」


「フン、GPCの考えなど我らも知ったことではない。だが、良い条件とは思わないか?
お前も、あの生意気なヤマネコの女も、外に出られるチャンスだ。これ以上、飢えと渇きに苦しむ生活をしたくなくば、早い所――」


「うるせぇよッ!!」


言下、ガークが吼えた。オオカミの咆哮に、遙は耳を塞ぐ。

その身体を見る見る内に獣毛が多い尽くし、平爪が鋭い鉤爪へと形を変え、その顔立ちも狼そのものに変化した。


獣人化を遂げたガークは鋭い爪を備えた腕を振り、アルダイトの手を素早く切る。赤い血が中空に散った。

アルダイトがつまらなそうに視線を落としてくる中、ガークは息を切らせながら言葉を続ける。


「忘れちまったのか? GPCがどんな奴らなのか……例え、こいつを渡したとしても、待っているのはモルモット扱いの日々だけだ。
俺はお前らの条件を飲めねぇよ。簡単にヒトの命を捨てられるか!」


ガークの力強い台詞に、アルダイトはいよいよ目を剥いた。


「馬鹿な奴だッ! 今更謝っても聞かんぞ!! その娘を渡せ!」


アルダイトが野太い咆哮を上げる。すると、再び二人の獣人がガーク達へ迫ってきた。





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