血溜まりに身体を沈める遙を、上から見下ろしながらクロウは笑みを浮かべた。
幾ら再生力の優れたキメラ獣人であるとはいえ、これだけ深い傷を負えば簡単には立ち上がれないだろう。
崩れ落ちた遙からは、まだ小さな拍動を感じる。クロウは爪を元の長さに戻しながら、その場にしゃがみ込んだ。
「急所は外してある。手当ては道中してあげるわ」
クロウは満足した様子で、倒れた遙へと手を伸ばし、その羽毛に包み込まれた獣腕を掴む。
クロウが遙の手を取った途端、静かに獣人化が解除されていき、遙の手は人肌のものへと戻った。その獣人化が解けると同時に、遙が小さな声を漏らす。
「……ぅ……」
「まだ意識があるの? 本当に優秀な個体ね、ハルカ」
(……戻りたくない……)
遙は血で真っ赤に染まった口元を動かそうと震わせる。口内には濃い血の味が広がっていた。
痛みは限度を越えて、殆ど感じない。だが、激しい出血のあまり手足は言うことを利かず、完全に筋肉が弛緩している。
瞼も異様に重く、目も開けられない。それでも、遙は抵抗しているつもりだった。……二度と、GPCの研究機関に戻りたくない一心で。
真っ暗な視界に、数日前に見た悪夢の光景が、次々と浮かんでは消えていく。
冷たい寝台に縛り付けられて、命を弄ばれて……そんなことは耐えられない。
迫り来る暗闇の中で、遙は何度も叫んでいた。
――助けて。
「つッ!?」
突如、クロウが遙から手を離した。
何が起きたのか分からないまま、遙は誰かに身体を支えられる。その衝撃で身体に激痛が迸ったが、すでに反応することさえ出来ない。
手足が動かず、痛みに顔だけを顰める中、柔らかい獣毛が頬に当たる感触がした。この感触は……覚えている。
「遙!!」
年季が入っていながらも、透徹した声音。何よりも、聞き覚えのある声だった。
――レオフォンさん?
遙は自分を抱えている人物の姿を確かめたくて、血に濡れた口に力を入れるが、思うように身体は言うことを利かなかった。
僅かに、糸のような細さで目を開くと、そこには白い体毛が薄らと視認出来た。
月明かりに照らされるその被毛は、間違いなく白い獅子であるレオフォンのものだろう。遙は絶望的な状況下でありながらも、その姿を見て思わず安堵した。
「く……貴様ッ」
クロウが忌々しげに叫んだ。
その細い右腕からは血が流れ、赤黒い染みを点々と床に残している。
唐突に割り込んで来たレオフォンに遙を奪われた上、右腕を引き裂かれたのだ。予想外の出来事に、クロウは眉を顰める。
「どうして、この場所が――」
クロウはふと、夜空を仰いだ。
頬に吹き付ける風は、静謐な夜の波。恐怖を喚起させるような静けさではなく、心が安らぐ程に落ち着いていた。
風音以外は何も耳に届かない……クロウは舌打ちする。
「この波動の静けさ……まさか、ヴィクトルがやられた?」
「先程の波動の乱れは、やはり貴様の部下の仕業か」
レオフォンはクロウの動向を伺いつつも、腰布を遙の傷口に強く巻き付け、安定した姿勢で身体を横たえさせる。
遙の出血は酷く、小さな傷からも血が流れている。……その口元に手を翳すと、本当に微かな呼吸が伝わってきた。
まだ心肺共に停止する状態に陥っている訳ではないようだが、このままではいずれ息絶えてしまうだろう。
すぐにでも遙を抱えて、ガーク達の拠点へと戻りたかったが……目の前のクロウがいる限り、必ず追い付かれてしまう。
レオフォンは遙を庇うようにして、クロウの前に敢然と立ちはだかった。
「愚か者が……こんな年端も行かぬ子供にまで手を出すか」
「子供だろうが、関係は無いわ。その子が、キメラの適正を持って生まれてきた。その事実に変わりは無い」
クロウの返答を聞いたレオフォンは、その口吻に深く皺を寄せる。
「ふん、下らん欲だ。……長話している暇は無い。覚悟はしてもらう」
言下、レオフォンは重い足音を鳴らして飛び掛る。
その巨体から繰り出されるスピードとは思えない速さでクロウへ迫り、レオフォンは右腕を素早く引いた。
鎌のような鋭さを持った紅色の爪が、クロウの顔を捉える。
「!?」
――が、レオフォンの爪は虚しく空を切った。何の手ごたえも無かったことに、レオフォンは目を見開いて視線を下へ向ける。
クロウはレオフォンの下に潜り込み、左手に備わる鋭い爪を彼の胸部目掛けて突き出してきた。
バッ、と赤い血飛沫が上がる。クロウの爪が胸を貫く寸前で避けたが、レオフォンの胸部には大きな切り傷が生じた。
クロウから間合いを取るようにして、レオフォンは素早く背後に下がる。手で押さえる傷口は思ったよりも深いらしく、血はそう簡単には止まらなかった。
まるでその場から消失したようにして姿を晦ませたクロウ。そして、狂いの無い反撃……レオフォンは驚きを隠し切れなかった。
「むっ!」
「あなたは、レオフォン、だったかしら? 『あの女』によって造られた……」
「……造られたのではない。救って貰ったのだ。私という存在を生み出したのは、他でもない、貴様らだ」
レオフォンは返答しつつも、一気に間合いを近付けてクロウの顔を薙ぐ。
その優雅な黒髪を何本か引き裂いたが、クロウ自身に傷を与えることは出来なかった。彼女はすぐさまレオフォンから離れて、様子を伺うように目を細める。
スピードと良い、判断力と良い……あまりにも並外れている。今まで戦ってきた獣人のそれとは、圧倒的な力量差が生じていた。
レオフォンは一旦攻撃を止め、数メートル先に距離を置いたクロウの顔を、静かに睨み付けた。
「貴様、何者だ……?」
「クロウという、GPCの幹部よ。あなた達、実験動物に名を名乗るのも癪だけど、この際教えてあげるわ」
言下、地面を蹴った二人の影が交差し、互いに血飛沫を浴びる。
レオフォンは右腕に大きな切り傷を負い、クロウもまた、その右手に裂傷を負っていた。
レオフォンの攻撃により、彼女の着けていた手袋が破れ、月光に反射して黒光りする鱗のようなものが露になる。
哺乳類のように被毛に包まれている訳ではなく、クロウの繊手は硬質な鱗で覆われていた。それを見る限り、明らかに普通の獣人ではない。
「その手はッ」
クロウの手を見たレオフォンは、額に皺を寄せた。
「鳥類……いや、爬虫類か? もしも噂に聞く『鳥人種』というものならば、フクロウでもない限り夜目が利かない筈だが」
「ふふ、博識ねレオフォン。だけど、良く考えてみなさい。……あなたは一世代目の獣人。私はそれ以降に生み出された獣人よ」
クロウは誇らしげに口角を曲げた。
「獣人開発の技術は確実に進歩している。爬虫類の獣人や、完全なキメラという存在には未だに手は届いていないといえど、このぐらいのことは可能なのよ?」
すると、クロウは自分の眼を指した。
彼女の眼が月光の光を浴びると、その瞳孔は縦のスリット状に細く縮まる。明暗に対する、眼の素早い順応。
クロウの見せた瞳孔径の大きな変化に、レオフォンは思わず息を呑んだ。
「まさか、ネコ科の眼、だと?」
「ご名答。私の身体に導入された獣遺伝子の種類は一つだけではないわ、あなたと同じね」
クロウは言い終えると同時に素早く接近し、両手を翳して一気に爪を伸ばした。
無数の槍が迫るような状況に、避け場を失ったレオフォンは、強靭な筋肉で覆われた両腕で顔と胸を庇う。
「!!」
直後、全身に食い込んだ爪に思わず呻き声を挙げたが、それ以上はびくとも動かなかった。
クロウの突き出した爪は、身体を貫通してはいない……レオフォンは交差した両腕の隙間から、クロウの姿を見た。
彼女はレオフォンを串刺しに出来なかったことに違和感を覚えたらしく、怪訝そうな顔で彼を見詰めていた。
「……勝負あった、な」
レオフォンが口から血を流しつつ、クロウに言った。彼女の手が静かに震える。
「何を言って――がふッ!」
クロウは思わず爪を引き抜く。唐突に込み上げた胸苦しさに、口元へと手を当てて咽込んだ。
額に脂漏を浮かべ、がっくりとその場に膝を付く。肩を震わせて唸る彼女の顔が、見る間に青褪めた。
クロウが荒い呼吸と共に、口から手を離すと、掌には真っ赤な血が付着していた。
内臓に怪我をした訳ではない……まさか、と、クロウはレオフォンを睨んだ。
「随分と粘り強い体質だな、クロウとやら」
「ま……さか」
レオフォンは身体中に傷を負いつつも、クロウに見せ付けるようにして右手の爪を上げた。
その紅色の爪の先端から、微量な透明な液体がゆっくりと零れ落ちる。呆然としたクロウを見詰めながら、レオフォンは目を細めた。
「私の爪牙には毒腺が生じている。……強力な神経毒と出血毒を兼ね備えているからな、例え獣人であっても膝を折らずにはおれんだろう」
「下らない、小細工を……ッ」
「貴様らが与えた小細工だ。……その台詞、己の生み出した者に対して言うべきことではないだろう」
レオフォンはそう吐き棄てながら、クロウの元へと足を進めた。
彼女は毒が巡ったことによる急劇な低血圧を起こしたのか、動くようなことはしなかった。
その様子を見たレオフォンは静かに息を吐き出し、クロウの頭上に鋭い爪を持ち上げる。
「これ以上苦しまぬよう、一撃で命を絶ってやろう」
「ッ」
言下、クロウに向けてレオフォンの爪が放たれた。
赤い軌跡が夜の藍を大きく切り裂いていく。今度こそ確実に倒せる……レオフォンは口を引き締めた。
……しかし
「!? なッ……」
直後、レオフォンの手から血煙が舞い上がる。指先が引き裂かれ、疼痛がじわじわと込み上げてきた。
思わず顔を上げると、レオフォンから十数メートル程離れた屋上の縁に、そっと降り立ったクロウの姿が眼に入る。
――その背からは、漆黒の翼が生じていた。
巨大な初列風切が大きく開き、畏怖さえ感じそうな巨大なシルエットを生み出している。
手とは独立して、背中から伸びる一対の翼。その容姿はまさに『鳥人種』の完成体とも言うべきか……レオフォンは顎を引く。
「まだ、動けたというのか……? その翼は――」
「無駄よ。あなたのスピードでは、私を完全に捉えることは出来ない」
言い様のない威圧感を放つクロウは、赤い眼を静かに細めた。
だが、決して毒が利いていない訳ではないだろう。端整な顔立ちには、無理に引き攣った笑みが浮かんでいた。
クロウは平然を装いつつ、その両手をゆっくり広げる。その赤眼が、レオフォンの身体を貫くような眼力を見せた。
「……せいぜい、良い子守りをすることね。次は、その翼ごと引き裂いて上げるわ」
すると、クロウは背後に下がり、レオフォンが止める間もなく足を宙に放った。
直後、彼女の背中から伸びる翼は一旦畳まれ、鳥が急降下する時と同じように高層ビルの屋上から姿を晦ます。
……そのまま落下するように消えていったクロウの後を追うことはせず、レオフォンはすかさず遙の元へと駆け寄る。
未だ意識の戻っていない遙だったが、僅かに傷口が塞がり始めている。
しかし、それは本当に微細な傷だけであって、クロウに付けられた怪我は出血さえ止まっていなかった。
「遙!」
レオフォンは遙をそっと抱え上げ、傷に衝撃を与えないように腕で身体を固定させる。
そのまま拠点に移動しようとした途端、夜空から漆黒の羽がひらりと舞い落ちてきた。
その羽が遙の頬に触れる寸前で、レオフォンはそれを掴み取る。
白い羽軸に黒い羽毛。まるで、鴉のような羽だ。
「食えない女だ……」
レオフォンは舌打ちすると、巨大な翼を広げ、すかさずその場から飛び去った。
――――――――
「ガーク……」
フェリスは目の前の寝台に横たわるガークを見詰めながら、小さな声で呼びかけた。
骨折と出血。重傷を負ったガークは、フェリスに背を向けて、壁際に顔を寄せていた。
ガークからの返答は無く、彼はシーツを喉元までかけて深い呼吸を続けている。その様子を見たフェリスは顔を俯かせた。
「ごめん、私のせいでこんなことに……」
「……お前のせいじゃねーよ」
小さな声で、ガークが唐突に言った。フェリスは思わず顔を上げる。
「……お前ももう寝ろ……そんななりは見てらんねぇよ」
ガークは相変わらず体勢を変えないまま、言葉を続けた。
「……ガーク?」
フェリスが再び問い返すが、もう彼の返事は無かった。
被ったシーツがゆっくりと上下しているのを見る限り、眠っているのは確かだったが……
ガークの塩梅を伺っていたフェリスは、ふと、自分の腕に生じた大火傷の痕を擦る。
この火傷痕は、ヴィクトルという鳥人と激戦を繰り広げた際、放出した生体電気が自らを傷付けた代償だった。
身体に流れる生体電気を相手に向けて放つという、まるで電気ウナギのような技だったが、一か八かの賭けだったに等しい。ヘタをすれば、自分が焼け死んでいたのかもしれないのだから。
自分が大怪我をしている状態だというのに、ガークはこちらを気遣ってくれていたのだろう……フェリスは息を静かに吐き出すと、そっと微笑む。
「獣人なんだから、こんな傷の痕なんて残らないよ。ガークが目覚める頃には、すっかり治っているわ」
「フェリス」
唐突に名前を呼ばれ、フェリスは顔を真っ赤にして飛び上がった。
慌てて振り向くと、レオフォンが出入り口で立っている。全身が白のために目立たないが、その巨躯にも薄く包帯が巻かれていた。
彼の様子を見たフェリスは、椅子を鳴らして思わず立ち上がる。
「レオさん!? あ、いだだ……痛いッ」
「ああ、すまん。驚かせてしまったようだな……怪我は大丈夫か?」
フェリスは急に立ち上がったお陰で、忘れていた身体中の痛みが稲妻のように駆け巡った。
その痛みに呻くフェリスの様子に、レオフォンは申し訳無さそうに丸い耳を下げる。
彼の言葉を聞いたフェリスは、手をひらひらと振って苦笑すると、自分が今まで座っていた椅子をレオフォンに勧めた。
「大丈夫、平気ですよ。……ガークのお陰で、このぐらいで済みました」
「そうか……だが、無理は良くない。後は私が看よう、お前は休んでおくと良い」
レオフォンは差し出された椅子をフェリスに返して、部屋の左右に置かれた寝台に目をやった。
右手にはガーク。そして、左手に置かれた寝台には……遙が伏せていた。
此処に到着した時は失血のあまり青白かった顔にも、ようやく赤みが差し始めている。
だが、全身に包帯を巻かれた様は痛々しく、見ているのも辛い状態であった。ガークの傷も酷いが、遙はそれ以上に危険な容態となっている。
クロウとの戦いを思い返したレオフォンは疲れたように溜息を漏らすと、遙の寝台に近付いて、そっと彼女の顔を覗き込んだ。
「遙も、少しは良くなったか」
「ええ。ついさっき、やっと出血が止まったんです。意識はまだ戻らないのですが……」
フェリスの言うとおり、遙は固く目を閉じ、ゆっくりとした間隔で呼吸している。意識が回復する様子は無かった。
遙の寝台の足元には、出血を止めるために使った医療道具が積み重ねられていたが、そのどれもが真っ赤に染まっている。
「獣人……いや、キメラじゃなければ、助からなかったでしょうね。この出血量と体力じゃ、私もどうだったか……」
これだけの出血量に加え、戦いで体力までもを削がれていたにも関わらず、遙はまだ息をしている。
決して無事と言える状況ではないものの、フェリスは驚きを隠せなかった。
「しかし、遙がいかに重要な存在とはいえ、此処まで傷付けられるとはな」
遙の様子を見ながら、レオフォンは唸った。
GPCにとって重要な個体である筈の遙が、まさかこれほどまでに痛め付けられるとは、皆が想像し得ないことであった。
彼の言葉に、フェリスは顔を上げる。
「そういえば、遙と戦った相手は……」
「確か、クロウとか名乗っていたか、奴は自分のことをGPCの幹部だと言っていた。私と対等……いや、完全な獣人化をされていたら、遙を連れて逃げ出せたかどうかも分からん」
レオフォンは自らの爪に視線を落とした。
「私の毒が回るのを恐れていなければ、襲ってきていただろうな。流石に、相手も命は惜しいようだ」
「……部下は見捨てるような奴らなのに。GPCの上層部は、研究所にいた時から気に食わない連中だわ……」
フェリスが吐き棄てるように言った。
だが、悪態とは裏腹に、その顔は疲弊の色が浮かんでいる。彼女もまた、久々の獣人化に加え、長い緊張状態が続いていたお陰で酷い睡魔が襲っているようだった。
ゆっくりと舟を漕ぐフェリスを見て、レオフォンは彼女の黄丹色の頭髪に手を置いた。
「無理せずに今は休んでおけ、フェリス。お前が倒れてしまっては、二人が起きた時にどんな顔をするか分からんからな」
「……平気、です。……まだ……」
小さな声で反芻するように、フェリスは呟いた。
だが、その抑揚の無い声音は考えて発したように思えない。今にも消え入りそうな程の声量だった。
レオフォンが目を瞬いて彼女の顔を覗き込むと、フェリスは瞼を固く閉じて、うわ言のように台詞を繰り返している。
静かな寝息が漏れているのを見ると、座ったまま眠ったらしい。相変わらず器用なことをする娘だ、レオフォンは苦笑を漏らした。
だが、そんな体勢で眠ってしまったのも、遙とガークを心配してこそ、だろう。レオフォンはフェリスを起こさないように抱え挙げると、近くのソファーへと身体を横たえてやった。
フェリスの身体に毛布をかけてやりながら、ふと、視界に入った夜空を、レオフォンは遠い眼をして眺めた。
窓を介して見える空は、無数の星が瞬いている。どれだけの人が、今、こうやって星空を見詰めているのだろうか。
「ん……」
急に聞こえた遙の声に、レオフォンは振り返った。寝台に横たわる遙は、少しばかり身体を捻って寝返りを打っている。
「お……かあ、さん……」
途切れ途切れの声で、遙が呟いた。その言葉を耳にしたレオフォンは、そっと微笑む。
――柔らかな月光に照らされた遙の寝顔には、安堵の表情が穏やかに浮かんでいた。
――――――――
バタバタと風を切る音を立てて、ヘリが夜空へと上昇していく。
月明かりに反射して、鈍い色に輝く機体。それが音と共に遠ざかって行った後、その場には二人の人影が残されていた。
緩やかな風に吹かれる荒地の砂。周囲には黒い廃墟が立ち並び、風の潜り抜ける音が耳を擽る。自分達以外に人影は無く、妙な落ち着きが辺りに漂っていた。
「こっち、こっちですよ!」
人影の内の一人、珍しい青い毛並みを持った狼の獣人が、溌剌とした口調で言った。
その被毛は自然発生したとは思えない程に鮮やかな青みを帯びており、右頬から腕にかけてオーセル人独特の複雑な刺青を彫っている。
彼は腰の辺りから伸びる柔らかな尾を大きく振ると、自分の背中を指差した。
「ヘリじゃ此処までしかいけませんが、オレの背中に乗っていけば、奴らの拠点まであっという間ですよ」
そう言って狼獣人は笑みを浮かべる。
周囲を確かめるように眺めていたもう一人の人影……細身の女性は、彼の言葉を聞いて小さな笑い声を漏らした。
「まぁ、コバルトが乗せてくれるの? 乗馬は得意だけど、オオカミに乗るなんて初めてだわ」
「いやいや、こう見えても乗り心地は抜群っスよ? 特にオレは女性の方に気を遣いますからね。折角ですし、オレの背中で少し一眠りしておくといいですよ。
特に最近はお疲れでしょう?、起きる頃にはしっかり到着してます」
自信満々に答える狼獣人の元へと歩み寄ってきたのは、小柄な女性だった。
短く切り揃えた艶のある黒髪に、穏やかな鳶色の瞳。その目元には紺色のフレームを持った眼鏡をかけており、怜悧な雰囲気が感じ取られた。
服装は白衣といった、一見研究員のような女性は、コバルトと呼んだ狼獣人の背中に身体を預ける。
やや肩甲骨の出た背中は、少々腰を痛めそうな感じだったが、彼の言うとおり、悪い感触ではない。
女性はコバルトの襟首に生える毛を撫でながら、そっと体勢を整えた。
「思ったよりずっと良い乗り心地だわ。有難う、コバルト」
「礼には及びませんよ。それじゃ、とっとと行きますか。――ルミナ様」
言下、コバルトは四つん這いになって、荒地を一気に駆け出した。
周囲の雰囲気に馴染まない容姿を持った二人は、次第に夜の地平線へとその姿を消して行く。
二人の頭上に広がる光景は、満天の星空だった。
:第四章に続く
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