レパードの身体から、骨が軋むような音が響いた。
人間としての蹠行性の足が、踵を地面から離して、ネコ科のような趾行性の脚へと姿を変える。
そして、靴を破って現れたのは黒い毛皮に覆われた獣脚。その漆黒の獣毛は露出した人肌を覆っていった。
背骨が音を立てて湾曲し、肩甲骨が肩を竦めるようにして持ち上がる。整った手指の先も、平爪が鋭利な獣爪へと姿を変えた。
変化は更に続き、彼女の首元にまで獣毛の侵食に染まった頃、美しい稜線を描いていた鼻梁が前へと突き出し、口が大きく裂けた。
耳は黒い毛に覆われながら頭頂へと移動し、大きく開いた口蓋には長い犬歯が突出した牙列が連なる。頭髪も、背筋を伝う毛皮となり、真紅の瞳が黒色の中にギラリと燃え上がった。
――クロヒョウの獣人だ!
その獣人化過程を凝視していた遙は、目を見張った。
ガークの獣人化した姿は黒灰色の狼であったが、彼女は違う。猛獣の一角たる豹の獣人だ。
唯、普通のクロヒョウとは違い、首筋から背筋を伝うようにして長く荒々しい、漆黒の鬣が服を破って生じている。
その身体つきもガークとは異なり、アルダイトのように獣の脚……ネコ科独特の趾行性の形に変化していた。
元がしなやかな女性であったのにも関わらず、獣人種が猛々しい肉食獣のそれというだけで、随分と恐ろしさが違う。
レパードの獣の肉体は、人間時よりも幾分引き締まった感じがした。
野生的で獰猛な肉食獣特有の眼光。フェリスは戦慄しつつも、その場から遁走しようとはしなかった。
「……」
無言で構えるフェリスの姿を見て、クロヒョウの姿を模したレパードは牙を剥き出した。
「往生際の悪い奴だ。……自分の犯した罪を償う気も無いのか?」
若干低い声ではあったが、それは本来の女性らしい声音だった。
レパードの言葉を聞いたフェリスは溜息と共に目を一度閉じると、再び静かに開いていく。
「償う気があるからこそ、こうやってあなたと戦う姿勢を見せている。死ぬ訳にはいかない」
「……ガァッ!!」
レパードの返事は、獣の咆哮だった。
レパードはフェリスに向けての距離を一気に縮め、その右手に備わる爪を突き出した。
その赤い軌道はフェリスの頬を掠める。彼女の頭髪が何本か持って行かれ、続いて頬に筋が生じたと思うと、血糸がゆっくりと伝った。
フェリスは並外れた動体視力と身体能力でレパードの攻撃を避けたが、相手の鉤爪は間違いなく首を狙っていた。
少しでも気を抜けば、動脈を引き裂かれる……フェリスは頬を傷を拭うと、自らも両腕に力を込めた。
フェリスの白い人肌を覆う、橙色の獣毛。獣人化の侵食は両腕に留まり、その指先には硬質な鉤爪が生じる。
素早く両腕の獣人化を遂げたフェリスは、一旦間合いを取るようにして背後に後退った。
「フェリスさん!」
遙は叫んだ。今はまだ膠着状態が続いているが、このまま戦闘が長引いて激化すれば、お互い大怪我では済まないだろう。
すぐに仲裁に飛び込みたかったが、遙を掴んでいるゲイルが離してくれない限り、手出しは出来ない。遙はゲイルの顔を見上げて叫んだ。
「離して下さい……! それが出来ないのなら、あの二人を止めて下さいッ」
「それで全て済むというのなら、俺は割って入るだろう。だが――」
ゲイルは静かに続ける。
「此処で止めたとしても一時的なものだ。和解など出来ない。むしろ、二人の気が済むまで戦わせてやるのが最善だ」
「そんな! 仲間同士で争うなんておかしいですよ! ……恨む相手が違います」
遙が慌てて言い返す。本来なら、お互い戦うべき相手ではないはずだ。
遙の言葉に、ゲイルは目を細める。
「恨む相手……それはGPCのことか?」
「……はい」
遙は力なく答えた。目の前では、固唾を呑むような戦闘が繰り広げられているというのに……
レパードは牙を剥き出してフェリスに襲い掛かっている。唸り声を上げながら飛び掛る様子は、まさに大型肉食獣そのものだ。
全身が獣人化している分、レパードの方がリーチも長い。フェリスは防戦の一方に縺れ込んでいた。その端整な顔には掠り傷や切り傷が徐々に多くなっていく。
遙は何も出来ない自分に腹が立ち、ぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
「GPCが私達を獣人なんかにしたから……こんなことになったんです」
「確かに原因はGPCかもしれん。だが、レパードが許せないのは、この場合GPCではない。
あいつらは例の事件が起きるまで親友同士だった。……二人の間に溝が生まれた切欠は、フェリスの言う弱さにあるのかもしれないな」
「弱さって、どういう意味ですか?」
遙は顔を上げて問い掛ける。
「フェリス自身が別れ際にそう言っていた。あいつはある意味、自分の意志で首領を殺した訳じゃないんだ。
自らの獣人の力を制御出来なかった、その意思の弱さのせいだと……獣人の『暴走』ということだ」
「それって、もしかして」
遙は昨日のことを思い出した。
アルダイトを殺した時のことを。確かに、今となっては考えられないことだ。
獣に呑まれ『暴走』した。それは結局、自分自身が獣人の力をコントロール出来なかったことの帰結だろう。
あれほど戦い慣れているように見えるフェリスが、そんなことになろうとは、想像も出来なかった。
依然として続いている戦いを見詰めながら、遙は言葉を失った。
だが、このまま二人を放って置く訳にはいかない。遙の瞳に力が篭る。
「……それでも、やっぱり私は、二人の戦いを黙ってみていることは出来ないです」
遙はゲイルの手に爪を立てて懇願した。
「離して、下さい……ッどうしても言いたいことがあるんです!」
「ならば力ずくで解いてみろ。お前がそこまで言うのなら、俺の腕を離すことぐらい容易い事ではないのか?
それも出来ないというのなら、諦めて見ていろ。……半端な覚悟で出て行けば、怪我では済まない」
遙は唾を飲み込んで喉を鳴らす。
ゲイルからも凄まじい威圧感を感じた。確かに、此処で余計な手出しをすれば、自分も唯では済まないかもしれない。
しかし、このまま放っておけば、間違い無くどちらかが倒れる。そこで命を落としてしまえば取り返しが付かなくなってしまうのだ。
それに……これはフェリス達だけの問題じゃない。ましてや、どっちが悪いかなども関係無い。
「う、が……うあぁぁぁ!!」
遙は牙を剥きだして、ゲイルの腕に爪を食い込ませた。
――――――――
「……! この波動は……」
ガークと共に荒地を駆けていたリオが、唐突に空を仰ぐ。
邂逅を果たした二人は廃ビルを抜けると、そのまま廃墟の街を出て、見晴らしの良い荒地に突入していた。
視覚的にも澄んだ場所で、いきなり言葉を発したリオに、ガークが足に急ブレーキをかけて止まる。
「何か見つけたのか?」
リオは立ち止まって目を閉じると、意識を集中させる。
「レパードさん? いえ、もっと強い力……、知らない波動です」
「! もしかしたら……リオ、方向は分かるか?」
慌てたガークの質問に、リオは少し驚いたようにして答える。
「は、はい、凄く不安定な波動で捉え難いですが、北西の方角から感じます。多分、そんなに距離は無いと……」
リオは頭を抱えるようにして言うと、ガークはそれ以上言葉を聞かず、すかさず北西へと足を進め始める。
リオが再び顔を上げた時、すでにガークは荒地を駆けて、少しばかり高い丘を登り始めていた。
「ガ、ガークさん!?」
呆気に取られたリオが追い駆けながら叫ぶと、ガークは息を切らして振り向いた。
「お前の言うその波動は、遙のヤツかもしれないんだッ。あいつは何かと事情のある獣人だからな、急いで行ってやらないと、手遅れになるかもしれねぇんだッ!!」
ガークは一気に言い放つと、前を向いて一気に丘を越えて行った。
――――――――
レパードの猛烈な攻撃を避けながら、フェリスは苦笑した。
まさか彼女達と一緒にいるとは。この数ヶ月間、一度も顔を合わせなかった彼女が、今頃になってこの近くにやってきて、遙を助けた。
運が良かったのか、悪かったのか……フェリスは皮肉げに笑うと、レパードの突き出してきた爪を力ずくで払いのけた。
唐突なフェリスの反撃に、レパードは力負けして背後に飛ぶ。彼女はその獣の身体を宙で回転させながら、地面に着地した。
そのクロヒョウの獰猛な眼が、尚もこちらをしっかりと捕らえてくる。フェリスは呼吸を整えながら口を開いた。
「……はぁッ、出来れば……もっと穏やかな再会をしたかったわ。遙の見ていない所でね」
フェリスが肩で息を吐きながら言った。
フェリスの漏らした言葉を聞いて、身構えていたレパードは長い犬歯を剥き出す。
「今になって穏やかな再会だと? 反吐が出るぞフェリス。……私はお前の顔も見たくなかったよ」
低音の唸り声と共にレパードは言う。
「『あの日』からずっと、お前の姿を見るのを避けていたんだ。サハルと仲間達の数人が惨殺されたあの時から……」
「……嫌な思い出よ。お互いね……」
フェリスが目を閉じたまま呟いた。その間も、レパードはじりじりと間合いを詰める。
「お前の姿を見ると、身体の血が憎悪で沸き上がる。この意識が、獣に呑まれてしまいそうになるから……見たくなかったんだ。
本能のままに身体が動いて、お前と同じような惨劇を引き起こすことになりかねないからなッ!!」
言下、レパードは再び跳躍して、フェリスの喉笛に向けて牙を突立てようとした。
しかし、フェリスは姿勢を低くして彼女の下を潜り抜けると、レパードの背後に肘鉄を浴びせる。
その衝撃で、ほんの僅かだがレパードは動きを止めた。フェリスは渋面を浮かべると、そのまま獣爪を突き出す。
パシッと乾いた音が響く。……フェリスが目を瞬くと、レパードの手が自分の腕を掴んでいた。
その素早さにフェリスは舌打ちする。半分も獣人化していない自分と比べると、レパードは全身の獣人化を遂げている。その筋力の差は圧倒的なものがあった。
フェリスの腕にぎりぎりと力を込めながら、レパードは振り向く。彼女の空いた右手から、爪が剥き出された。
「ネコ科の見た目と違って、生殺しは嫌いだ。……一撃で殺してやるよ!!」
フェリスの細い喉元に向けて、レパードの獣爪が突き出される。
――ふと、その瞬間。彼女らの間に、小さな影が割って入ってきた。
鮮血が宙に散る。ゲイルは遙から手を離し、一歩後退った。
(あと少し、離すのが遅れていたら……)
ゲイルは自らの手を見て、溜息を漏らした。
腕にはざっくりと裂傷が走り、血が止め処なく零れ落ちている。獣人の肉体であるお陰で、出血は次第に勢いを弱めていった。
彼が目を向ける先には、全力で駆ける遙の背があった。
獣人化したらしいその腕は、あらゆる獣が混ざり合った、何とも混沌とした雰囲気が溢れている。
その羽毛に包まれた彼女の獣腕は、レパードとフェリスの間に一直線に伸びた。
「遙!?」
「……ッく!」
レパードは咄嗟に爪を引く。フェリスも身体を捻って背後へと転がり込んだ。
レパードの爪は、遙の腕を薄く切り裂く。碧色の羽毛が、僅かな血液と共に散った。
遙は肩で息を吐きながら、両者を睨む。それを視認したレパードは、言いようの無い威圧感を覚えて、フェリスを追撃せずに趾行性の足を止めた。
二人が止まるのを見た遙は、一度唾を飲み込み、震える声で話し始める。
「……戦うのを、やめて下さい」
息が切れて、はっきりとした声にはならなかったが、遙の身体から溢れる力は、二人の戦意を喪失させるには充分であった。
だが、遙も二度に及ぶ獣人化で、身体が流石に疲労している。それでも、遙は目に力を込めて、レパードの獣顔を見詰めた。
「フェリスさんのこと、許してあげて……」
遙の唐突な一言に、レパードはおろか、フェリスまで目を見開いた。
呆気に取られていたレパードは、遙の言葉を聞いた途端、その口吻に皺を寄せて唸る。
「寝言を言うな、ハルカ。そこを退け、さもないと、お前まで引き裂くぞ」
脅しには聞こえない程、彼女は殺気立っている。だが、遙は断じて足を引かなかった。
それどころか、獣人化したレパードに向けて足を踏み出し、迫るように言う。
「確かにフェリスさんのしたことは自分の意志じゃなかったからと言って、償えるものじゃないだろうけど。
かと言って、フェリスさんを殺す理由はあるのですか? その首領の人を殺したから、殺すなんて……」
遙は口篭り、間をおいて話を続けた。
「こんなことを繰り返しても、あなたが同じ罪を背負うだけ……ですよ」
「……」
遙の必死な言葉に、レパードは目を細める。
遙は相変わらず荒い呼吸を続けながら、視線だけを下に下ろした。
「争いで済ませるんじゃなくて、誰にだって、弱さはあるから……それを認めたフェリスさんの生き方を見て行くのが、周りにいたあなた達の役目なのではないですか?
罪の償い方なんか簡単に分かることでもない。それを見つける前に命を絶ってしまっても、何も解決しない」
遙の目尻から涙が零れ落ちた。
自分もまた、フェリスと同じような過ちを犯したことに変わりない。
これからどうしていいのかさえ、はっきりしないのだ。生きていても良いのか、元の人間に戻ることを、望んで良いのか……
「私だって、まだ何をやっていいのか分からないんです。でも、自分が犯した罪を忘れることなんて出来ない。
背負って生きていくしかないって、それだけは分かっているからこそ、フェリスさんだって苦しんでいるんじゃないですか?」
「……分かり切ったことを」
レパードは小さな声で、吐き捨てるようにいうと、その被毛に覆われた目元を閉じた。
すると、次の瞬間、彼女の身体つきに再び変化が訪れた。
クロヒョウの口吻が徐々に沈み、黒い毛皮も後退していく。獣毛が剥げるようにして現れたのは滑らかな人肌。
顔が端整な女顔へと戻ると同時に、背骨を曲げて立っていた彼女の身体は、次第に元の人間と同様、直立した二足歩行へと変わる。
関節が音を立てて元に戻ると、背骨も真っ直ぐに屹立した。レパードは人のものに戻った手を使って肩を軽く鳴らす。
「随分と面倒な子供を拾ったものだ。……まさか、ゲイルの腕を解いてまで来るとは、全くの予想外だよ」
微妙に不愉快げに顔を歪ませたレパードは、ゲイルをちらりと一瞥した。
ゲイルも身体を人のものに戻しながら、薄らと微笑を浮かべると、レパードに対して軽くアイコンタクトを飛ばす。
レパードは彼の様子を見て、大きく溜息を漏らすと、何処か抜けたような視線を地面に落とした。
その気を抜いたレパードからは、もう殺気を感じない。遙は微かな安堵感を表情に滲ませる。
遙とレパードのやり取りを見ていたフェリスは立ち上がると、ゆっくりとこちらへやってきた。
「レパード……」
フェリスが腕を庇いながら歩み寄る。その肩からは血が流れていた。
レパードはフェリスの怪我に目をやり、眉を顰めると、すぐにソッポを向く。
「……唯の気紛れだ。私はお前を許すつもりは無い。一生だ」
「……」
フェリスはレパードに対してそっと目を閉じ、何か小さく呟く。何を言ったのか分からなかったが、彼女は続いて遙に視線を移すと、そっと微笑んだ。
二人のやりとりを複雑な表情で見ていた遙は、フェリスの笑みを見た途端、はっとして顔を俯かせた。
これで良かったのかは分からない。仲裁したことが、果たして彼女達にとって良かった行動なのか……
「うおぉぉぉぉおおい!! 遙ぁぁーー!!」
「!!」
周囲を包んでいた重苦しい空気を一蹴する勢いで、遠くから凄まじい声量の絶叫が響き渡った。
その気になれば、地の果てまで轟きそうな声だ。その場にいた者達は皆、眉を寄せて耳を塞いだ。
「も、もしかして……っ」
遙が心臓の跳ね上がる思いで顔を上げると、丘を全速力で駆けてきたガークが姿を現した。
彼は遙の姿を視界に収めると、より走る速度を速める。ガークは刮目する程のスピードで丘を駆け下り、あっと言う間に遙の目の前までやってきた。
「はーッ……ぜぇッ……畜生! てめぇ、こんな所にいやがって……!」
ガークは肩で息を吐きながら、膝に手を置いて腰を折る。……流石に最後の全速力が響いたらしい。
遙は彼の姿とフェリスの姿を交互に見ながら、小さく息を呑んだ。
「ガーク!? フェリスさんも、ガークも、もしかして……」
「そいつを拾ったのはお前なのか、ガーク?」
遙とガークの会話を割くようにして、レパードが聞いた。
そこでようやく彼女の存在に気付いたらしいガークは、顔を引き攣らせる。
「て、てめぇ、レパードか!? お前、生きていたのか……」
「生きていて悪かったか? 相変わらず軽い口を叩――」
「レパードさんッ」
レパードがガークに対して言いかけた所で、三人の間を風のように割り込んで、リオが闖入して来た。
彼女はレパードの胸元に突撃して、そのまま地面へと二人揃って突っ伏す。荒地の細かい砂がブワッと舞い上がった。
「……ッリオか?」
レパードは固い地面で打ったらしく、後頭部を擦りながらリオを見た。
リオは顔を上げると、僅かに目元を潤ませて、再びレパードにしがみ付く。
「ああ、やっと会えました……ッこのまま合流できなかったらどうしようかって、ずっと思っていたんです」
「俺が追い掛け回して見つけたんだよ。仲間を拾ってやったことに感謝しやがれ」
ガークの言葉を聞いて、再会の喜びで感涙するリオを退かすと、レパードは吹っ切れたように息を吐いた。
「全く、お前という奴は……昔から何一つ変わってないな、ガーク」
「んだとッ! 久々に会って、仲間まで助けてやったのに横着な態度取りやがって。殴り飛ばしてやる!」
「ガークは言い方が悪いのよ」
ガークがレパードの細身に掴みかかろうとしたその途端、肩の傷を庇いながら、フェリスがガークに告げた。
「お互い『有難う』って言えば済む話じゃない。ガークのその様子じゃ、リオのおかげで此処まで来れたみたいだしね」
「るせぇ! 女ばっかりでゴチャゴチャ言いやがって! 俺は必死になって此処まで来たんだぞ!」
早速口喧嘩が始まり、ガークの言い様に、呆れたようにフェリスが溜息を漏らした。
その様子を周囲で見ている三人もまた、満更では無さそうな顔をしている。その光景を見詰めながら、遙は目を瞬いた。
もしかして、これが『元の光景』なのだろうか。
元は一つのグループだったという獣人達。……それは今でも、変わっていないのではないだろうか。
フェリスとガークが終わりの見えない口喧嘩を展開するのを、ほんの僅かに微笑を浮かべて見詰めるレパード。
彼女も、本気でフェリスを殺すつもりであれば、今此処で襲い掛かっても不思議ではない。だが、そんな殺伐とした気配は全く無かった。
元は別々の場所で生まれ育った人間だが、今は皆同じ獣人であり、痛みを分け合った仲間。その根底の考えは、決して砕けないものなのかも知れなかった。
例え、それが幾つかの確執を生んでいるとしてもだ。何故か、敵同士としては見ることが出来ないのも、獣人同士である見えない絆のお陰だろう。
遙は彼等の中にそっと足を踏み入れると、小さく息を吸い込んで口を開いた。
「あ、あの……」
遙の小さな一言に、皆が一斉に視線を注いだ。
そのことに恥ずかしさと気まずさを感じた遙は、慌てて視線を下に落とすと、両手の人差し指を突合せながら続ける。
「ほら、その……これからは、皆一緒に行動しないかな……って。皆でいた方が、楽しいですよ、きっと」
「……悪いが、その提案は呑めないな」
リオを引き離して立ち上がったレパードが、腕組みをしながら即答した。
「幾らお前達と一緒に行動しようとも、昔のようにはならない。もう、一度区切りを付けてしまっているからな。
それに、一つに固まって行動すれば、GPCの一斉攻撃で全部潰されてしまう可能性もある」
「それでも……」
遙が詰め寄ったが、ふいに、その身体よりも先にフェリスが前に出た。
「こんなこと言えた義理じゃないけど……少し、休んで行かない? また暫く会えなくなりそうだから、色々と話しておきたいことがあるのよ」
フェリスも苦笑しながら、レパードに手を差し出した。
レパードはその手を取ろうとしなかったが、少し考えるようにして佇む。彼女達を見ていたガークも、思い付いたように手を挙げて賛同した。
「おう、そりゃ悪くない提案だ。……半年も離れていたんだ。一晩ぐらい付き合えよ。リオのヤツもゲイルの兄貴も怪我してるんだ」
ガークの言葉を無言で聞いていたレパードは、苦虫でも噛み潰したような表情になって、背後を振り返った。
彼女の視線の先には、ゲイルが笑みを浮かべて立っている。彼は「お前の好きにしろ」と、小さく告げた。続いて視線を移したリオも、苦笑しながら頷く。
仲間達の表情を見たレパードは、不機嫌そうに眉を顰める。
「……分かったよ、お前達の好きにすればいい」
彼女の承諾と取れる言葉を聞いた遙は、顔を明るくした。
「そ、それじゃあ……」
「おおぅ、お前の口からそんな言葉が聞けるとはな。そんなに簡単にOKサインが出るとは思わなかったぜ」
「やかましいッ」
妙なことを言い出したガークに対して、レパードが叫ぶと、彼女の鉄のような拳が繰り出される。
当然、ガークは避ける事も出来ずに、頬に彼女の拳骨が直撃する羽目となった。
彼女の容赦の無い打撃を受けたガークは、蛙が潰れるような声を上げて地面に倒れ込む。口内を切ったのか、彼の口の端からは血が流れていた。
「い、痛ぇ……や、やるんならもっとおしとやかに沈めろよ、この暴力女ッ!!」
一撃で伸されたと思われていたガークは、一気に立ち上がって、レパードに飛び掛った。
彼の怒りに任せた攻撃は、何度も空振りを繰り返している。その無謀な様を見ていた一行は笑った。
(……これが、ガーク達が探していた仲間なんだ……)
遙は何とも無邪気な光景に、そっと微笑んだ。まるで、皆童心に返ったように笑っている。
獣人という存在である苦境の中、こうやって笑い合えるのも、やはり仲間という存在があるからなのだろう。
遙は紺色が滲み出した空をそっと見上げて、静かに微笑を浮かべた。
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