「ようこそ、エラン・ヴィタールへ」


あの巨大な扉を開けた先、一行がEV内に足を踏み入れた途端、コバルトが軽いステップと共に前へ飛び出し、仰々しく頭を下げた。

入った施設内は、パッと見れば大がかりな医療施設と良く似ている。入口に当たるこの場所は病院の待合室のように、今までの道のりと比べて明るい雰囲気を醸し出していた。

白を基調とした清潔さを感じる壁に、やや高めに広がった天井からは、設置されたダウンライトがフロア全体を柔らかく照らしている。

もちろん、公共施設とは違い、辺りに休憩するような椅子やテーブルは見受けられない。奥に続く廊下まで、殺風景な色合いが続いていた。


公にされない極秘な組織だと言うのだから、もっと無骨なものを想像していた遙は、施設の内装を見て思わず息を吐く。


「何か想像していた感じと違うかも……」


遙が左右を見回しながら呟いた。


「此処はまだ玄関だからな。もっと奥へ行けば、君が想像しているような造形かもしれない」


コバルトは遙に笑いかけると、早速奥に向けて足を進め始めた。遙達もそれに倣い、ゆっくりと足を踏み出す。

……しかし、案内されるままに進むものの、差し掛かった廊下の壁には施設内のフロアマップや道先を示す矢印記号などは設けられていなかった。廊下の左右に設置されたドアにも、番号一つ記されていない。

白い内装の中で、唯一色合いが違う物といえば、天井と左右の壁の境に埋め込まれた監視カメラ程度であり、遙達の動きをジッと凝視してきている。


――何よりも気にかかるのは「人」の気配がしないことだった。


幾つかの分岐を経て進む中、施設内の職員の姿はまるで見受けられない。獣人の五感であれば、ある程度人間が傍にいれば気が付くのだが、それさえも感じ取れなかった。


「誰もいないのかな? 人がいないから道も聞けないし、迷ってしまいそうな気がする」


やや不安が立ち込めた遙は、思わず口を開いて独白した。それを聞いたコバルトは振り返り、遙の後ろを指差す。


「施設設備についての説明は後から君のお母さんがしてくれるだろう。此処は公共の施設じゃない上に、扱っている物も外部には漏らすことが出来ない品ばかりだ。
施設の構造図が全く無いのも、万が一忍び込んできた侵入者への対処と言ったところだよ」


「なるほどな。これだけ入り組んでいる上に、何処も同じような設計だから、案内が無けりゃ迷っちまう」


ガークは顎を捻りつつ唸る。彼の言うとおり、何処まで行っても白い風景が続くだけの道だ。ずっと歩いていけば、徐々に感覚が麻痺していくだろう。


「……あ、警告しておくが、道が分からないからってマーキングとかするんじゃないぞ。その時は施設から摘み出すからな!」


「やかましい! そこまで言われる筋合いはねぇよ!」


ガークは再びコバルトに向けて怒声を放った。苦虫を噛み潰したような顔をするコバルトと、今にも蒸気を上げそうなガークの顔に、遙は思わず噴き出す。

いつも一緒にいるフェリスといい、ガークは誰かしらとぶつかり合う性質なのか、それとも弄られ易い性格なのか分からないが、常に喧嘩越しに発展する気がする。


一方で遙の後方を歩いていたフェリスは、白い壁面に指を触れながら目を細めた。


「『この階』にはヒトの気配がしない……もしかして」


「此処は地下3階。多く語ることは出来ないが、EVは地上10階、この階を含め地下施設は6階まである。地下施設は主に獣人達に与えられたスペースだ。
人間の研究員は大半が上の施設にいる」


フェリスの疑問に答えるようにして、最後尾を歩くレオフォンが言った。だが、フェリスは相変わらず胡乱な目付きをして再度問い返す。


「レオさんの言うことも分かるけど、地下は私達のスペースといっても、この施設はバイオテロの対策を研究するために建設されたんでしょう? リスクの高い病原体とか、そういうものは何処で扱っているの?
獣人という点を除けば、私達は実質部外者に当たる筈だから、同じ地下にそんな施設があるとは思えないのだけど」


「確かにそれはあるわ。だけど、EVの施設は此処だけじゃない。この地域の地下に複数の研究施設があって、此処はそのうちの一つ。
バイオセーフティーレベルの高い細菌やウイルスを扱っている実験施設はまた別にある」


レオフォンに代わって瑠美奈が答えると、フェリスはまだ物足りなさそうに片眉を上げた。


「ははは、質問攻めはその辺で一旦切ってくれよな? 色々聞きたいことがあるのは分かるが、こっちにも都合ってモノがあるんで」


コバルトが苦笑しながらフェリスに言った。


「それに、目的の部屋に着いたのでね」


立ち止った彼の背後には、平面なドアが一つ設けられている。背後を振り返るに、突き当りに設置されているドアということが分かった。

そのドア自体にノブのようなものはなく、おそらく自動ドアの類だろう。コバルトはドアの前まで近付いていき、一行に向けて得意げにウインクを飛ばす。その動作に遙は目を瞬いた。


「……中に、誰かいるんですか?」


「開けてみれば分かるさ」


そう言った途端、コバルトはドアの横に設置された生体認証装置に指先を押し付ける。

すると、間髪を入れずにドアが右側に向けてスライドし、たちまち室内の光景が目に飛び込んできた。


「あ……!」


思わず、遙は声を漏らした。

室内は楕円状に広がった机が面積の大半を占め、その上には席の数だけモニターのようなものが設置されている。更に部屋の正面にはプロジェクターが投影するためのものか、巨大なスクリーンが埋め込まれていた。

それらの光景は、さながらオフィスビルなどにある大規模な会議室といった風合いで、今まで通ってきた白い施設構造とはやや違う印象を受ける。


そして何よりも、その室内に佇んでいた複数人の人物を視認して、遙は目を見開く。


「レパードさん……ですか?」


切れ長の赤い眼に、艶のある黒髪が振り向き様に遙の目に焼き付く。予想だにしなかった人物の姿に遙は室内へと無意識に足を踏み入れた。


「! お前、ハルカなのか?」


その人物は、一か月程前に絶対不可侵区域で出会った女性――レパードだった。ロムルス人にしては小柄な容姿だが、外見に反して黒豹の血を引く肉食性の獣人である。

そして、彼女の傍には全身を紺の布で覆った男ゲイルと、亜麻色の頭髪を緋色の布地で飾った少女リオの二人が、少し驚いた様相でこちらを見てきた。


「ハルカが此処にいるということは、俺達はお前のお陰で此処に来られたという訳か」


遙の姿を見ながら、ゲイルは口元に笑みを浮かべた。遙に続いて室内へと踏み込んできたガークは、部屋にいた三人の姿を見て眉を上げる。


「おいおい、マジか。施設にはすでに獣人がいるって瑠美奈のヤツが言っていたが、本当だったみたいだな。何にせよ、無事に会えて嬉しいぜ、久し振りだな!」


緊張の糸が解れたように、ガークがニッと笑った。


「御久し振りですね皆さん。でもEVの人達に同行して、私達が此処へ到着したのもつい数時間前のことです」


リオは柔らかい口調でそう告げた。それを聞いたガークは遙と目を見合わせる。


「じゃあ、お前らもまだこの施設についてはあまり分からないんだな」


「私達も、組織の説明を口頭で言われたに過ぎない。誰が此処に来るか、というのも聞かされていなかった。
唯、今回の件でハルカが関わっているのは、ある程度予測出来た。獣人を連れてくるというリスクを冒してでも、お前が必要だったという訳だな」


レパードが遙に視線を移しながら言った。相変わらず素気無い口調だが、悪気があるようには聞こえない。

彼女とは決して長く付き合っていた訳ではないが、出会った時のフェリスとの一件があってから、少しばかり物腰が柔らかくなった気がする。


別れてから一か月程しか経っていないが、無事に出会た喜びに遙は頬を紅潮させる。ガーク達だけではなくて、彼女らにも助けられて、自分が今此処にいるのだから。

だが、先程ゲイルが言っていたように、彼女らもまた、自分の選択によって此処へ来ることが出来たということになる。

列車内でガーク達と話したことを蒸し返す訳ではないが、これだけの獣人を連れてきたのであれば、自分よりも母の方が立場を危ぶめる可能性もあるだろう。

出発の前夜に瑠美奈自身が言っていたことだから、恐らくそれも考慮した内なのだろうが……遙は小さく溜息を吐いた。


「キミがハルカって子かい? 想像とはちょっと外れてて驚いたよ」


急に聞こえた耳慣れない男の声に、物思いに耽っていた遙は素早く右側に目をやる。

そこには風変りな男女が壁に背を預けてこちらを見ていた。二人共高身長で、黎峯の人間とは違う彫の深い顔立ちをしている。

男性の方はやや癖のある黒の頭髪に加え、白いシャツに黒のベストを着用し、同じく黒地のハットを目深に被っている。髪色と赤褐色の目色を見る限りロムルス人種だろうか。

一方、彼の隣に姿勢良く佇む女性は、赤みの強い頭髪を後ろで一つに三つ編みしており、紺のジャケットを纏っていた。

その姿はぱっと見ると気品があるように思えるが、眼鏡をかけた顔立ちは何処となく冷たく、人を寄せ付けない印象を受ける。


「まさか……ルーデンス、ロティ。合うのは数か月振りね」


今まで珍しく無言を保っていたフェリスが、驚いたように口火を切った。

ルーデンスと呼ばれた長身の男性は、フェリスに声をかけられると同時に、安堵したような笑みを漏らす。


「久し振りだね、フェリス。あの後キミのことを心配していたけど、無事みたいで良かったよ」


「皮肉……じゃないわね、流石に。あなたはガークと同じように残ってくれようとしたけど、私が追い立てちゃったんだっけ?」


フェリスが溜息と共に苦笑すると、ルーデンスは目元を隠すようにしてハットを被り直した。


「はは、あの時の君は正直、怖かったな。踏み止まってあげられなくて悪かったよ、君にこうして会えなければ一生後悔しているところだ」


ルーデンスは肩を竦めた。フェリスとの会話の内容を聞く限り、彼らもレパード達と同様、以前の仲間なのだろう。

遙がぼんやりと二人の会話聞いていると、彼の隣に立っていた女性がこちらへと目を向けた。

青灰色の特徴的な目をした彼女は、白い手袋を付けた指先で眼鏡のブリッジを持ち上げる。その冷厳な眼差しを受けた遙は辟易し、そっと後ずさった。


「彼女が例のキメラ……一見普通の少女ですが、GPCにとって価値のある存在とは思えませんね」


「! てめぇ、言い方には気を付けろよ、ロティ。誰のおかげで此処に来られたと思ってるんだ」


澄ました表情で抑揚無く言い放った女性、ロティに対してガークが食ってかかる。だが、犬歯を向いたガークを前にして、ロティは焦る様子も無く目を細めた。


「あくまで私の主観を述べたまでです。真に受けないで頂きますよう」


「何だとッ!?」


あわやガークがロティに掴み掛ろうとした所で、遙が慌てて二人の間に割って入って来た。


「駄目だよガーク! 名前を知っているってことは、仲間の人達じゃないの? 私はどう言われても構わないから、仲間同士での喧嘩だけは止めてよ」


真摯な遙の眼差しを受けたガークは軽く舌打ちすると、渋々ロティの元から離れた。

急に緊迫した空気に、遙はどっと疲れが増したが、ガークが気を静めてくれたに越したことはない。周囲が止めに入らなかったのを見ると、大した事でもなかったのかもしれないが。

現に、ゲイルやリオは、つまらなそうに口を突きだしたガークを見て、薄らと微笑んでいるように見える。遙もそれを見てそっと胸を撫で下ろした。


「……で、お前らがいるってのは。俺らと同じく承諾したから、だよな。この部屋に集めて、一体何をするつもりだ」


ガークが不機嫌そうに椅子に腰を掛けて、瑠美奈に問いかけた途端、部屋の外から固い靴音が響いてきた。思わず、皆が出入り口のドアへと視線を向ける。

すると、電子錠が外側から開く機械音が響き、入って来た時と同様、素早くドアがスライドする。

遙が固唾を呑んで見詰めていた矢先、ゆっくりと室内へ入って来たのは、一人の壮齢の男性と、金髪の長髪を持つ若い女性だった。


男性はすでに白髪の多い、やや長めの頭髪を生やしており、眼鏡をかけた顔には深い皺が刻まれている。

服装は裾の長い白衣姿で、まさに研究員のような出で立ちだが、目元は年や外見に合わない鋭さが垣間見えた。

そして、その男性の隣に立った女性は、同じく白衣を纏っている。流れるような長い金髪が、彼女の美しさをより引き立たせているように見えた。


男性は部屋に設けられたスクリーンの前に立つと、中にいた遙達を確かめるように見詰め、静かに息を吐いた。


「長時間待たせてしまって申し訳無い。皆が揃った所で、紹介を始めよう。それぞれ、空いた席に腰を下ろしてくれ」


皆が言われた通り、近くにあった席に着いていく中、遙は何処か戸惑いつつ、一番前にあたる席に腰を下ろした。

遙達が静かに二人に視線を送る中、暫くして老齢の男性が重い口を開いた。


「私の名はスミス・グラウン。この研究所の所長であると同時に、国際的機密機関であるEVにおいて、生物兵器の対策を講じる役目を担っている。
そしてこちらの女性はイザベラ。私の助手にあたる人物だ。この施設で生活していく上で、不明な事があれば彼女を頼ると良い」


彼は抑揚の無い声で告げると、イザベラと呼ばれた女性は、皆に向かって軽く会釈をした。

続いてスミスは傍に立っていた瑠美奈を一瞥すると、遙の方へ眼をやる。


「この度、獣人の研究に協力して貰えることに感謝する。後の詳細は瑠美奈君から直接伝えるようにしてあるが……君が東木 遙かな?」


「は、はい」


唐突に名前を呼ばれ、遙は緊張のあまり上擦った声で返答した。


「君は今回の研究において要となる人物だ。特に、キメラ獣人のメカニズムは他の獣人よりも複雑になっている上、我々の手元にもそれに関する資料は殆ど無い。
その分、事前の生体反応測定検査にも時間を要するだろう。……君に差支えがなければ、一足先に私達と共に来て貰いたいのだが」


「え……あ、それでしたら、別に……」


遙は言われるままに申し出に同意すると、スミスはゆっくりと右手を差し伸べてきた。おもむろに彼の手を取る瞬間、遙は思わず振り返った。

その瞬間、母である瑠美奈と目が合う。瑠美奈は遙の気を楽にさせるためにか、軽く微笑んで見せた。

それを見た遙は誰にも分からない程度に小さく頷いて、差し出されたスミスの手を取ると、そっと椅子から立ち上がった。


「すまない。後は宜しく頼む」


「了解致しました」


スミスの言葉を受けて、瑠美奈は端的に言葉を返す。そのままスミス達に連れて行かれる遙を見たガークは、思わず椅子から立ち上がった。


「お、おい遙――」


部屋のドアが閉まる寸前、遙は声に反応して振り向いたが、ガークの姿までが見えたかは分からない。

ドアが閉まった後、足音だけが次第に遠ざかって行く中、ガークは溜息を吐きながら再度座り込んだ。


「何だよ、まだ三分も経ってねぇし……明らかに面倒事って感じの顔してたぞ。大体、瑠美奈、お前が直接遙の研究を受け持つんじゃなかったのか? 母親だろ」


退室したスミスに代わって、スクリーンの前に立った瑠美奈に向けて、ガークは射抜くように言い放つ。それを聞いた瑠美奈はガークに視線を向けた。


「母だからこそ、遙の臨床には付き添えない。肉親が相手だと、遙は信用して治療薬に対して偽薬のような効果を生み出してしまうかもしれないわ。
正確な薬理作用が認められない限り、あなた達や遙が協力してくれる研究の意味がなくなってしまうことになる」


瑠美奈は伏し目がちに言った。


「――とにかく、遙は心配無いわ。私が言うのも難だけど、所長は信頼出来る人よ。遙自身も今日から臨床試験が始まる訳ではないから。
あなた達には、これからの生活について私が説明をするから、良く聞いていて」


瑠美奈に笑顔を向けられて、ガークはつまらなそうにソッポを向いた。


「……何か納得いかねぇ」


一息置いて、ガークは誰にも聞こえない程度の声で呟いた。

研究に協力すると言い出したのは遙自身だが、同時に所長であるスミスと瑠美奈の言い方は、遙以外の獣人は研究に必要が無いと言っているようにも聞こえる。

臨床試験で役に立てないのであれば、せめて遙を傍で支えてやりたかったのだが、こうも引き離されるとは思いもしなかった。


(……キナ臭ぇな……)


ガークは頬杖を突くと、机に設置されたモニターに視線を落とし、小さく溜息を漏らした。






――――――――






丁寧にファイリングされた資料が並ぶ机上。その机に設置されたデスクライトの電源を落とすと、室内はたちまち真っ暗になった。

薄暗い室内に一人で作業をしていた、黒尽くめの服を纏ったクロウの姿は、光源が無くなった途端たちまち闇に沈む。光の無い部屋で赤い眼だけが、炯々と光っていた。

彼女は服装を整えつつドアの電子錠を解除し、廊下へと足を踏み出す。……すると、そこには巨大な鳥人の姿があった。


「ヴィクトル。……どうして此処に?」


大きなワシの頭部を持つ彼を見て、クロウは訝しげに問い質した。ヴィクトルは鋭い鉤爪を備えた足を一歩進め、クロウの身長に合わせて背を屈める。


「お前に報告しておきたいことがあってな。……しかし、こんな時間に何処へ行くつもりだ。あの白獅子に受けた毒は治癒した訳ではないだろう」


「あなたには関係無いことよ。それよりも何があったのか教えて頂戴」


彼女の返答を聞いたヴィクトルはその不気味な頭部を俯かせると、溜息がちに嘴を開いた。


「つい先日のことだが、ハルカの消息が途絶えた。僅かな時間だが絶対不可侵区域に向けていた探知機がジャミングされていたようだ。
現在は部下を使って行方を捜しているが、恐らく……」


「消息を探る必要はない」


途端、クロウは跳ね除けるように言い放った。予想さえしなかった言葉に、ヴィクトルは目を丸くする。


「何だと? ハルカを捕えることが今最優先される事項ではないのか」


「『上』からの指令が少し変わった。もちろん、ハルカが手元にあることに越したことはないけれど、いずれハルカは私達の元へ来なければならなくなる」


クロウは口元に笑みを張り付けて言った。ヴィクトルは焦れた様子で鉤爪を鳴らす。


「時を待てと……? しかし、その間にグレンデルにでも捕まえられたら、こちらも容易に手出しは出来なくなる筈だ」


「心配する必要は無いわ。ハルカに注がれた遺伝子操作技術は、彼が完成出来るレベルではない。それに……」


クロウは一旦言葉を切ったと思うと、ヴィクトルの鳥顔を見据えた。


「ハルカの居場所はすでに分かっているのよ。私はこれからロムルスの実験所へ向かう。グレンデル共に感付かれる前に、あなたの部下も帰投させなさい」


そう言い終えるや否や、クロウは身を翻してヴィクトルの前を通り過ぎようとした。それを見たヴィクトルは慌てて彼女を止めようと手を伸ばす。


「……待て、貴子……」


ヴィクトルがそう言った途端、クロウが振り向き様に首筋へ爪を突きつけた。

猛禽類にも引けを取らない、黒光りする爪を見て、ヴィクトルは諦めたように目を伏せる。


「その名前で私を呼ぶな」


クロウは冷厳な声音で吐き捨てると、足早に廊下を歩いて行った。

その場に残されたヴィクトルは、僅かに血色に濡れた首筋を指で拭い、悔しげに嘴を擦り合せた。






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